いつかあの頂へ

bufoの日記

阪神大震災


のとき、あんなに多くの死傷者がでた原因の大半は家具の倒壊によって押し倒され逃げ場を失ったことだという。あの猛火の中で命を落とした人々の無念はどんなだったろう。


  地震発生から数日、まだ現地では余震が続き、報道される被害者の数もどんどん膨らんでいる頃、私の担当する金物売り場に、神戸から来たというお客さんが目立ちだした。
余震に備えて家具を固定する金物を求めて。


 大阪のハンズでももう品物が無いので、こちらの実家を訪ねる前に寄りました、と子供の手を引いた女性の表情には必死の思いが表れていた。
彼らが話してくれる体験談にあらためて被害の深刻さを実感したものである。
ご近所の分もと、重さをいとわず購めていかれたのは、こんな商品だった。

L(エル)型補強金具 タンスの上部と柱を直接緊結する。

チェーン と止め金具 家具の上部と壁面上部とを引っ張る。

 これらは最も基本の組み合わせであるが、安くて確実である。
一巻15メートルの切り売りチェーンはすぐに売り切れた。


L型の角度を変えたり、目立たず丈夫なワイヤーやベルトを使ったり、と改良された商品はそれまでもカタログの隅に載ってはいたが、震災直後は当然品不足、市内の問屋を回って倉庫の棚の品物をごっそり積んで帰るとすぐ店頭に並べたりした。


 「地震対策用品」というカテゴリーが生まれ、「地震用品コーナー」なる売り場が独立するのはこれ以後のことだ。


 その後、電気冷蔵庫の後部に転倒防止のベルトをつけるための金具が取り付けられるようになったり、テレビやピアノがすっ飛んでこないように、滑り止めの粘着材が開発されたりと、震災にあったあとに必要な「避難用品」とともに、地震コーナーも品揃えが豊富になった。

 時と所を選ばない、言い換えればいつ来るとも知れない災難には、人はつい無用心、不心得になりがちなもの、その頃でも名古屋のお客様の中には「うちはチンタイで、壁に穴をあけれーせんで」と見てるだけ、の人が多かった。


 そんな時、余計なお世話と思いながら、「命には代えられませんから」と、より太いネジをと真剣に買っていかれた神戸の人たちのことをお話したものだ。


地震 台風 火事 おやじ


人様に説教できる柄ではない。

今の住まいに、H150センチ以上の高さの家具はひとつも無い。家具の下敷きになる心配は無いのだが・・・


 中越地震の時、あわてて1階へ駆け下りた私に、1階の中華屋の親父さんが言った、「このビルは上へ逃げなきゃだめだよ、このあたり、昔は沼地で地盤がゆるい、ビルの下敷きになったらおしまいだよ」