いつかあの頂へ

bufoの日記

鼓童

満員の厚生年金会館、思いっきり拍手をして、手のひらが痛くなる。
10人の飲み仲間たちと、満員のフアンと、鼓童の演技に酔いしれる一夜。

  
    聴けば楽しや 今年も 君の 大太鼓


 18年前の夏、私はひとり佐渡島に向かった。
一年分の休暇を使って、1週間の「鼓童塾」に参加する為である。
全国から集まった太鼓好きの仲間たちと合宿所に泊り込み、小学校の体育館で、一日中太鼓を打った。

 曲は「秩父屋台囃子」

「大太鼓」 「三宅」(三宅島の祭り太鼓)とともに、鼓童のオハコの演目である。


 毎年12月初旬、秩父の街は伝統の祭りに賑わう。
各町内から引き出されて神社に向かう屋台には、笛や締め大鼓の囃し方が陣取り太鼓はその床下、車輪の横のわずかな空間に押し込められて、幕に隠されて見物衆の目には触れない。


 男が膝つきで入り込むのがヤットの低い天井の下で、まともに撥はさばけない。
 30センチぐらいの高さ、横置きに据えた太鼓の胴の下に下半身を潜り込ませ、両足先を太鼓に突っ張り、全身を仰向けに横たえた状態から上半身を30度起こす、撥を振り上げて胸の上の太鼓を打つ。
全体重はお尻にかかる。極上の腹筋運動である。
 屋台が通りの曲がり角に差し掛かると、びっしりと敷き詰めた割り竹の上ですべらせながらその場でくるりと向きを替える。
このときとばかりに、締め太鼓が急テンポのリズムをうつ。
綱を引く町衆を励ますかのように。
それに呼応して床下の太鼓が力をこめて打つ。
 この一連の動きを舞台上に再現するのが、鼓童の「屋台」なのである。


 
 その年の暮れ見物に出かけた秩父の夜祭りで、始めて「屋台ばやし」の原型を知ったのだが、
この夏の日にはそんな由来も詳しくは知らず、ただ夢中で打った。
 5日目ぐらいになると、手のひらの皮がむけはじめ、
風呂へ入ると、おしりと両手がしみて痛かった。


 このとき5人ぐらいの団員が指導してくれたのだが、
その棟梁が藤本吉利さんであった。
そもそも「鼓童塾」へ行く気になったのは、藤本さんの大太鼓を見たからだった。
塾生たちは、藤本さんを校長先生と呼んだ。
今も私は彼を「校長」と呼ぶ。


 校長の撥さばきは最高である。


その波動、そのうねり。


誰にもまねが出来ない。


 音の大きさや、力強さで、彼を越えるものが出たとしても、美しさと、艶やかさで彼をしのぐ者はいない、今のところ。
おそらくはこれからも。


 それでいい。
技とか、道とか、にはその人だけのものがあるのだ。


 今年も「鼓童」に酔った。
校長健在、に心が躍った。


毎年のことながら、これで新しい年を迎えることが出来る。


鼓童の皆さん、
校長、
 よいお年を!


    
      全身全霊 競いて打つや 年の暮れ

                   鼓ん童    





    太鼓芸能集団 鼓童 – 佐渡を拠点に太鼓を中心とした伝統的な音楽芸能に無限の可能性を見いだし、現代への再創造を試みる太鼓芸能集団。