いつかあの頂へ

bufoの日記

手塚宗求さん 

週刊ヤマケイ 7日号」を開いて驚く。

巻頭のページを引用させていただく。
http://cc.mas.yamakei.co.jp/c/00355q_0000ol4p_54

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 山の名言
 「天幕を張って何日間か滞在してみたくなる山頂だ。近くに登る山も沢もないが、森林や草薮を渡る風の音をじっと聴いているだけもいいではないか。頂上の上だけに開いた窓のような星空もいい。夜が更けるにつれて獣たちの声も、物語のなかの場景のように聞こえてくる。」
手塚宗求
『諸国名峰恋慕 三十九座の愛しき山々』より


編集部注:霧ヶ峰のコロボックル・ヒュッテ創設者で、「高原のエッセイスト」としても知られる故・手塚宗求さん霧ヶ峰と美ヶ原の間にある、とりたてて特徴もない二ツ山について、その山が好きな理由を上記のように綴っています。
『諸国名峰恋慕 三十九座の愛しき山々』は当時81歳の手塚さんが挑んだ新境地。山のエッセイが好きな方はぜひ一度、手に取ってみてください。

http://www.yamakei.co.jp/products/2812330560.html


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 いつお亡くなりになったのだろう。


 bufoは2度お会いして少し言葉を交わしただけだが、彼の文章の愛読者である。
数冊の本は散逸(焼失?)して、いま手元にあるのは2冊。

 『山―孤独と夜  小さな山小屋に暮らして』


 3年前の初夏、気のおけない仲間たちとの恒例「山の飲み会」を、コロボックルヒュッテで、という案が出た。
幹事のトンガリ君が小屋とやり取りして予約をしてくれた。
ところが病気やら、なんやら不都合な人が次々現れて、結局残るはトンガリとbufoの二人になってしまった。
さすがのトンガリ君もがっかりして、キャンセルしてしまったのだが、今にして思えば、二人で静かに車山の月を愛でるのもありだったかと悔いが残る。


 その秋、諏訪のそば粉屋さん「高山製粉」の主催で「そば打ち講習会と地酒飲み歩き」に家内が参加した帰り道、晴天に誘われてビーナスラインをドライブした。

先日のキャンセルの非礼を詫びようと、『コロボックルヒュッテ』を訪ねた。
「手塚さんいらっしゃいますか」と問うと、「むねやすですか」と案内してくれたのは息子さんだろうか。
バケツで何かを運んでいた手を止めてほほ笑んで、
「名古屋のKさん、それはそれは。
よくおいでいただくお客さんのKさんも名古屋の人だったなぁ、お知り合いですか?
あぁそう、
またどうぞお出かけください」

交わした言葉は少ないが、
そばで見ていたかみさんのいわく
「山小屋のおじさんという風情じゃないはね」
bufoも、これも写真でしか見たことはないが、串田孫一さんの姿を思い出していた。



 実はその十数年前、かみさんと車山スキー場でスキーを楽しんだ帰り、
肩に車を止めて反対側から車山に登った。
スキー場と違って人っ子ひとりいない斜面を降って訪うたのがコロボックルだった。

ひとり番をする手塚さんに請うて暖をとらせていただきながら、
著書を愛読している旨告げると、傍らの書棚を差してほほ笑んだ。
そこにはかってこの小屋を尋ねた詩人、岳人たちの著書が並んでいた。
その時もとめてサインをいただいたのが

『新編 邂逅の山』である。


 この本の「奇跡の森」の章に、この小屋の建設の経緯が記されているが、
「昭和三十一年、わずか9.5坪の文字通りの小屋を建てて・・・・」とある。
この最初の小屋の写真が、
串田孫一『山のパンセ』の一節『雪を待つ草原』にある。


手塚さんが長い間の夢を実現して建てたそのヒュッテを、串田孫一はこう記している。
『・・・手紙で図面などを見ていたので、霧雨の中にこの小屋を見つけた時、祝福したい気持ちと一緒に奇妙な恥ずかしさも覚えた。そして小さいながらよく出来たと思った。

 その晩は、甲府や長坂からやって来たお嬢さんたちと歌を歌い、私はそんなこともあろうかと忘れずに持って行った笛を吹き、つたない文章を読んだりして二時すぎま起きていた。・・・・・』




 『邂逅の山』に印象に残るこんな一節がある。

『貧しそうだが簡素で整然とした小屋の中を照らし、その灯を燈台のように、冷気を温めて外を明るくしているものは、黄金のようなランプであった。
 男は、物好きな夜の散歩者を装って小屋の戸をたたいた。
 闇の夜道をさがすために、男はマッチをもらった。
男は、小箱の中の数十本のマッチを時々点火けながら、更けて行く山の道を下ることにした。
小屋の灯は、男の行く手に、小さな灯をともしたのだ。』



 『山の本』 2011春号に 「春は水場から」という手塚さんの随想がある。
 
同じ『山の本』最新刊・書評欄に、長沢 洋さんの追悼の文がある。
じっくり読み返そう。

 


ニッコウキスゲの花が、
見渡す限り、
草原を黄色一色に染める頃、
『ころぼっくる ひゅって』を訪ねよう。



           車山 2005年7月 撮す