いつかあの頂へ

bufoの日記

如庵

 いやしくも名刺の隅にインテリアコーディネーターなる片仮名を連ねるものが、木曽川犬山城下の有楽苑を訪れたことが無いと聞けばひとはあきれることだろう。

NPO法人 緑の列島ネットワークのスタッフの皆さんのお骨折りで快晴の一日、始めてそのすばらしさをつぶさにあじわう機会を得た。


 しかも我々を案内しご教授くださる方々は、鈴木清先生はじめ名鉄犬山ホテルの成瀬さん、管理責任者の後藤さんが、貴重なお時間を割いてくださったのである。今望みうる最高の陣容である。



 竹を好んだという有楽斎、破竹、呉竹、白竹、初冬の陽射しに明るい。
なんじゃもんじゃの木、有楽椿.かやぶきの門、竹の樋。
寸松庵燈籠、「燈籠は、これ以上大きなサイズを選んではいけません、庭をだいなしにします」と先生。
 


 有楽斎がつくり、堀口先生がこの地に移した如庵のすみずみまで実見できる企画は初めてのことです、メジャーを当てて採寸してもよろしい、ぜひ「何かを持ち帰ってほしい」 そして日本の中心、ここ名古屋で あなた方こそ 木の文化、茶の湯の伝統を受け継ぎ 発信してください、とにこやかに語りかける先生は80歳、その若々しい情熱に感動する。


 如庵には5人交代で。


それだけ座ると、あと茶碗をおくスペースしかない、小さく暗い。
この室内に限り撮影禁止。


「暗さの中で本心を打ち明ける」場所であるそうな。
この座に招かれた客、伊達政宗は、戦乱の世を生き抜いた亭主、信長の弟 織田有楽斎に何をうちあけたのだろうか。
385年前のこの席で。



 五十数人のメンバーは私以外すべて建築のプロである。屋根、天井、柱、壁、建具、目を凝らし、覗き込んでは見ている。


 弘庵の十五畳の広間に入って、一瞬おやと懐かしい感じがした。
わが家のあの二階の八畳間をふっと思い出したのだ。


天下の名建築と一緒にするわけではないが、この杉の中杢、この障子。
 普請道楽だったおやじ、建前の酒を酌み交わす大工さんたち、子供の頃のワンシーンが浮かんでは消えた。