いつかあの頂へ

bufoの日記

三宅軍医 後日談

 先日記した三宅千代著「のこりて字あり」の記事をお読みいただいたのであろう、岳友井口氏の夫人から思いがけず小包が届いた。
 中にはなんと、レイテから奇跡の生還を果たした三宅軍医の、オーストラリアの収容所でのフェイスシートのコピーと、『カウラの風』という本があった。カウラ捕虜収容所の集団脱走事件を追ったドキュメントである。

 井口家と三宅家は親戚である。本の著者 土屋康夫氏に会った井口氏が叔父のことを話したところ、シドニーの戦争記念館から捕虜になったときのフェイスシートを取り寄せてくれたとのこと、日本軍捕虜の多くが仮名を使う中で、三宅軍医のシートには実名が記されている。初夏に執り行われた三十三回忌法要の席で、孫たちに囲まれた千代夫人は、六十余年ぶりに手にした夫の事跡に喜ばれたそうである。
 井口夫人の達筆な文章から、なんだかその場の様子がしのばれるような、あらためてあの『のこりて字あり』を思い出す。


 終戦記念日を前に、テレビでは年老いた日本軍人の証言を拾い集めたドキュメンタリーが連日放映されている。


 私の亡き父は満州牡丹江で終戦を迎えた。彼の地での戦いのこと、復員の顛末、今思うと不思議にさえ思うのだが、父と戦争のことを話したり聴いたりたことが一度もない。
 中学生になっていたろうか、敗戦後10年もたって、舞鶴の復員援護局から一通のはがきが届いた。
「復員の際預かった現金を返すので、舞鶴まで出頭せよ」
 その金額は200円である。
 はがきを覗いて、思わず笑ってしまった。
そのときの父の顔を憶えている。
 極寒の満州で、どうやってこのお金を貯めたのだろう、どんな思いで復員船を降りたのだろう。
 今となっては、聴きようもない。

カウラの風

カウラの風