いつかあの頂へ

bufoの日記

ちきゅう

bufo2007-09-23


 
 昨日22日、ハーモニカ同好会の練習を終えて、3時、お彼岸墓参りの旅に出る。まずは八事霊園へ。


 八事の交差点を曲って一本目、いつもの花屋さんへ曲がろうとすると、一方通行の看板と、お巡りさんが立っている。なんと、大学や墓地がある地形の状況からこのさき左折出来る路はない。やむを得ず国道の先でUターン、山手通りへ右折、その先でまたUターンしてやっと花を買う。


 彼岸の人出を予想してとったであろう措置なのは解らないでもないが、普段の車の順路や回りの地形など、市民の便利は無視している。

 警察のやることはときにおせっかいが過ぎて、ほっといてくれよと言いたくなることがある。



 20年ほど前、大晦日に熱田さんへ初詣に出かけた際、いつもは何とか人並みがゆっくり進む参道で、数百人の参詣人が、ぎっしり立ち止まって動かない。
 見ると警官が交通整理よろしくSTOPをかけているのだ。
 静かなはずの参道に櫓を組んで、スピーカーを取り付けて。
ここでも趣旨はわかる。殺到した市民が押し合いへし合い、挙句にけが人が出ては地元警察の沽券にかかわる、イッチョ縄でも張ってちゃんと整理したろみゃぁ。
 古来の風習を慮り、市民の良識を尊重しようという視点は感じられない風景だった。
名古屋人はおとなしいからじっと黙って待っていたが、以後初詣に出掛けなくなった。



 さて、午後だからか人も少なく車もスムーズに置けて順調に墓参りが済む。

海の家へ

 次はふる里のご先祖様のお墓である。
世間は三連休とあって23号線は結構な車だ。夕方五ヶ所湾の町に着く。


9月23日

 今朝、ちょっと早起きしてお墓へ。幸い曇り空だが、虫を警戒して長袖なんぞ着込んだせいで汗びっしょり。
 海運寺へ寄ると、おばあさんたちのご詠歌が始まっていた。
 家へ帰って、例によってひとしきり掃除かたづけ。


 TVで総裁選挙の実況がやかましいが、かみさん見向きもしない。先の選挙で「みんなが折角事前投票までして」民意を示したのに無視された、「誰でもおんなじよ」というわけである。


 3時半、戸締りをして海の家出発。浜島あたりでおいしい魚で夕食をと260号線を走る。



 ちょっと早いからと旧道に入って、宿田曾の突堤で釣り人たちを見物していると、突如局ヶ頂の方から轟音が響いて一機のヘリコプターがあらわれた。
何かの取材か、と見る間にこちらへち近づいてくる。

 その昔突如グラマンが三浦の山の向こうから現れて機銃掃射をしながら飛び去ったた光景などを思い出した。
 なにを隠そう、そのときBufoは、この町の国民学校1年生であった。


 あれよあれよという間にヘリコプターは町外れの太平洋に面した空き地に着陸した。
今度はヘリコプター見物である。



 空き地の隅に事務所らしきプレハブの建物。降り立った数人の人がヘリを見ている。
 首からカードを下げたひとりの紳士に尋ねてみた。
 「すみません。このあたりでヘリが来るのをはじめてみたんですが、このヘリは観光用ですか?」
 くだんの紳士はちょっと驚いた様子だったが、微笑みながら応えてくれた。
 「いやぁ、この沖合い12キロに『地球号』という観測船がいましてね、200人ぐらい乗り組んでるんですが、その人員運搬の為のヘリコプターなんですよ。」
 「え!何ですか、その船は?」
 「海底をボーリングして、地球を観察し、地震観測などに役立てようというプロジェクトなんです。」
 「へぇ、そんなことが始まったんですか。この町が科学の最先端にお役に立ってるんですねぇ」
 「そうです、それも今日がその初日です」
 「昔このおくの村で津波に遭ったことがありますが」
 「昭和19年ごろ、相当被害があったそうですね」
 「地震の予知観測も出来るといいですねぇ」
 「そんなお役に立ちたいと始まったプロジェクトです」
 「そうですか、ご苦労様です。ありがとうございました」
 

 思いがけず巨大プロジェクトの出発に立ち会った一日ではあった。


 帰宅して即NETで調べた。
  海洋研究開発機構
南海掘削といったキーワードが出てくる。
 『ちきゅう』という名の観測船が見つかった。



WIKIMEDIA COMMONS」ホームページより
http://commons.wikimedia.or

 興味のある人は、以下のURLにアクセスしてみてください。

JAMSTEC | 海洋研究開発機構 | ジャムステック
http://www.jamstec.go.jp/chikyu/jp/CHIKYU/status.html
海洋研究開発機構 - Wikipedia
MEXTホームページ