いつかあの頂へ

bufoの日記

斉藤寿孝さんのハーモニカ


 朝一、バス通りの花植え。
歩道脇のシデコブシ並木の下の花壇を耕す。
種まきは来週だが、bufoは御在所登山で留守にするから、その分今日張り切らなくっちゃ、ってんで鍬を振るったら結構腰に来た。


 予定では、今朝は「男爵コーラス」のセンター祭り出演でこの「町美」奉仕は欠席するはずだったのだが、ピアノの藤井先生が体調不良で出演不能とのことで、急遽スケヂュール取り消しとなった。
 ここ数ヶ月、縮んだ脳みそに一生懸命暗譜しようと頑張ってきた皆さん、ちょっと残念そうだが致し方ない。


 また昔話かと言われそうだが、昔々bufoがたった1年だけ在籍した合唱団では、ピアニストが居なかった。というか、貧乏学生の納める団費では、当然ピアニストを雇えるはずも無かったか。


 1年にたまった楽譜は30曲位だったろうか、すべて無伴奏、名曲「月光とピエロ」や愛唱曲「パリ若」「ウ・ボイ」をはじめみんな無伴奏曲、アカペラなんて言葉を知らないくらいbufoにとって男性合唱は無伴奏があたりまえだった。


 ある夜 コンパのあと、栄の交差点で自然に歌い始めた。
またある夜は、翌日の合唱コンクールのため泊まった旅館を夕食後の散歩に出て、
心斎橋のたもとで、可知さんが取り出した音叉に、すっとハーモニーが生まれ、
帰宅を急ぐ難波っ子たちも足を止めては、周りを囲んで聴いてくれた。


 舞台で歌ったことより、こんな夜のことのほうが思いで深いのも、アカペラのよさであろうか。



 団にピアニストが居なかったわけではない、当時の指揮者可知さんが講堂の隅のピアノでシューベルトを弾いているのを見たことがあるし、ほかにも数人ピアノに堪能らしき部員が居た。


 世は移って、どんなちっこい合唱団にも専属ピアニストは当たり前、豊かな時代になった。
そこへ持ち上がった話が急だったから、無伴奏で練習する暇も無く、今日の事態とはなった。


致し方ない。




 遅めの朝食をとって、いとこのIさんを誘って名古屋へ向かう。
新装成った愛知県産業労働センターに、
「中部ハーモニカ連盟30周年記念コンサート」を聴こうというのである。


 普段めったに聴けないご当地の名人上手をはじめ、
石川澄男、大石昌美といったハーモニカファンならたれ知らぬものも無いゲストの演奏3時間、
いつもの仲間たちの演奏とは次元の違う名演奏にすっかり酔いしれる。


 最後に登壇したのはなんと斉藤さんである。
斉藤寿孝さんの楽譜やCDはbufoも数冊持っている。
実物の演奏を目の前で聞けるチャンスなんてそうあるもんじゃない。
身を乗り出して聞き入る。
 

 津軽じょんがらぶし」
 「こきりこ節」
 「リンゴ追分」

 
 斉藤さん設計特製のハーモニカの絶妙な音色が奏でる日本のメロディー、時に力強く、ときに哀愁をこめて・・・・


 豊かな音楽の恵みを堪能したひと時であった。




 帰宅して、エアチェックしてあったNHK「ビバ!合唱」を聞く。
ハンガリー「カンテムス少年少女合唱団」
世界最高のハーモニー。
むろん、アカペラである。