いつかあの頂へ

bufoの日記

石岡繁雄先輩

 現役のころ、不敬にも『バッカス』と呼び捨てにしていた、
むろん、はるか年上の大先輩、仲間内で彼のことを話すときのことではあるが。

山岳会総会などで、はるかに尊顔を拝するばかりの縁ではあったが、
八高以来の諸先輩に比して、石岡さんのことはいつも身近に感じていた。

彼が大学の職員であり、
また山仲間のゴネやコーサクさんが石岡家に下宿していたり、
彼らをを山手通りの石岡家に訪うたりしていたせいだろう。

 そのバッカスの業績をしのぶ展示会があると知り、
名大博物館に向かった。


http://www.num.nagoya-u.ac.jp/event/special/2013/131105/poster.jpg

 まずは部屋を埋める展示品の多さに圧倒される、
よくもこれらの資料を、保存整理されたものと目を見張る。

 要を得た案内板や、解説に導かれて、見てゆくうちに、
実にバッカスの業績が、人生が、わが胸に迫ってくるようだ。

 『ナイロンザイル事件』

 井上靖の『氷壁』を読んでは切り抜いて、
大学ノートに貼って私家版を作っていたbufoにとって、
当時折々報道される『事件』のことは、少なからず関心事ではあったが、
いまこうして 目の前に時間を追って展示される資料を見ると、
ことの中身を、いかに知らなかったか、思い知らされる。

 中に、手のひらほどの岩を二つ並べた展示がある。
傍らに白い紐が束ねておいてある。
なんだろうと目を凝らしていると、男性が声をかけてくれる、
「お試しになってください、右の岩は鋭い鋭角です、
同じ形に見えますが、左の岩の角が数ミリ削ってあります」

 3ミリほどの白い紐を両手で張って、右の岩の角に当てて、数センチこする、
と3〜4回擦ると紐がほつれ、やがて切れる。

左の岩角で同じことをするが、ひもが切れることはない。


 遭難から半年後、前穂東壁の下で発見された五郎さんの体についていたナイロンザイルの切れはし、
なぜ切れたのか。

マスコミが名付けたのだろう『ナイロンザイル事件』

バッカスの登山界に残した業績というよりも、
彼の人生そのものを知ることのできる資料がすべてここにある。

来てよかった。
じっくり拝見して部屋を出る。



 せっかくだからと階下の所蔵展示を見ていてびっくり。
でっかい岩石に、「トヨタ自動車副社長清水哲太氏寄贈」と添え書きがある。
清水先輩がこの道にも詳しいとは知らなかった。


 帰宅して書棚から取り出す、
『屏風岩登攀記』 「石岡繁雄」のサイン入り 昭和52年復刻版
                   (我が家の初版本は焼失)
「序」に、
「この事件と取り組んだ彼のヒューマニズムを高く評価している」  今西錦司
「私に『氷壁』の筆を執らしめたものは、事件そのものよりも、
むしろその悲劇を大きく登山界にプラスするものであらしめようとする
氏の志に他ならなかったと思う」                 井上 靖



 もう一度ゆっくり読みかえそう。



http://www.num.nagoya-u.ac.jp/event/special/2013/131105/index.html
http://nua.jimu.nagoya-u.ac.jp/meidaishi/PDF/meidaishi%20093.pdf
http://www.ccnet-ai.ne.jp/videostudioy/