いつかあの頂へ

bufoの日記

訃報 中井弘治先輩 逝くと

 清水てった先輩から珍しく電話
「あぁ bufoよ 中井がなあ・・・」
13日の深夜、夕方元気に家族と話していたのに、静かに息を引き取った・・・と。

 Vamiさん(ニックネーム)は菊里高校時代から山岳部員だったから、
bufoが滝子山の名大山岳部ルームに顔を出すようになったころには、
山のこと一切、すっかり頼れる先輩であった。
冗談を交えて、笑顔で話す風貌は、学部へ行ってからも変わらなかった。
 
 彼の山行で一番印象に残っているのは、なんと言ってもかの「全山縦走」である。
剱岳岩登り合宿が終わり、アンバラさん、トンガリくんほか4人ぐらいのパーティーだったか、
黒部川を横断してわざわざ白馬に出て、あとは尾根通しに、針の木から野口五郎、槍を経て、穂高を走って上高地へ、文字どうり北アルプス全山縦走だ。軽量化のため主食は「こうせん」でとうすというのもユニークだった。



 
「岳人」 2014 No806最終号の、47ページにはこんな記述がある、
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 「岳人掲載の主な初登記録 
北ア剱岳八つ峰6峰長次郎谷側Cフェース剱稜会ルート 1959.3.28 中井弘治ら
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六峰 Cフェースは、剱岳の岩場のなかでも代表的な岸壁だ、bufoも夏の合宿でイソ兄さんとアンザイレンして登ったことがあるが、翌春合宿で彼は積雪期初登攀を成し遂げたのだ。

 某自動車会社の要職をひいて、さぞや張り切ってあちこちの山へ、と思っていたが、久しぶりに会った彼の言葉に驚いた、
「いやぁ がんがいくつもあってな、正月明けにまた入院や」
同期の仲間での恒例の新年飲み会に、『遅れてすまん』と笑いながら参加してくれたのが大方の仲間との別れになった。

 遺言は『葬式無用、エヴェレストの見えるところに散骨を・・・」
お別れ会の祭壇の傍らに、エヴェレストヴューホテルの庭で奥さんと肩を組む写真と、
そして次の年の新年会に欠席した彼を励まそうとみんなで寄せ書きをした色紙があった。

 Vamiさん、お世話になりました。
安らかにお眠りください。



                春山合宿 剱岳頂上にて  photo by 原 武