いつかあの頂へ

bufoの日記

愛・地球博

 EXPO2005が終わった。


 春三月、シベリアからやってきたマンモスではじまり、真夏、なかなか入館できないロボットのパフォーマンスで盛り上がり、外国館のバーゲンセールでごったがえした最後の1週間、大盛況、大成功のうちに幕を閉じた。


 開幕ひと月前、飛騨高山駅で、パンフレットが並ぶ5段の棚の一番下の足元に、地味な濃緑の万博のそれが、目立たずひっそりとおかれているのを見て、愛知万博も一歩外へ出ればこの程度かとがっかりすると同時に、お祭りなんてこんなもの、まずは地元が神輿を担がにゃ周りが踊るはずがない、と納得したことを思い出す。


 海上ノ森(カイショノモリ)を刈り払って一大住宅団地を造成しようというもくろみは自然愛護を訴える人々の猛反対の前にあえなく消え去ったが、皮肉ではなくこの良識ある人々の声が、『自然の叡智』を標榜するこのお祭りの成功をもたらした一番の功労者と言える。もちろん、終始冷静に仕切っていた中村事務総長をはじめ、運営に携わる多くの人の姿に胸打たれた。


 「この森残せて良かった」・・万博の果実と題する朝刊コラムの見出しである。
 海上ノ森は原型のままに残った。


 代わって主会場になった青少年公園には、「サツキとメイの家」が残る。


 市民参加で作り上げられたこの万博、人々の胸にそれぞれの思い出が残る。


 我が家の玄関にはこんな額が残った。