いつかあの頂へ

bufoの日記

男たちの大和

初ティーダ

 の封切りにちなんだわけでは毛頭ないが、いつもの仲間11人、いにしえの軍港 呉を目指して、大晦日の早朝、7時30分の「こだま」に乗る。

後楽園

 「贅沢三昧 初詣でバス旅行」というキャッチフレーズどうり、とにかく盛りだくさんな二日間であるが、まづは岡山でバスに乗り換えて名園の鑑賞。


春の「桂離宮」、秋の「修学院離宮」と、お庭に関しては結構薀蓄を積んだ仲間たち「ふぅーん、なんと言うかゆったり、のびやかなたたずまいはいいねぇ」と腕組みをしている。



なかには「あのビルは邪魔だから取っ払ったほうがいいなぁ」などと物騒なことを言う御仁もいる。

千光寺

 次は尾道千光寺公園。いにしえこの地に遊んだ頼山陽はじめ文人墨客の歌碑を見ながら、巨岩を捲いて本堂へ。見はるかす瀬戸内海、水道を挟んだ向島に小さく「大和」のセットが見える。

大和ミュージアム

 呉へ。この春開店は正式名称「呉市海事歴史科学館」 駐車場は満タンである。前庭の「陸奥」の主砲、推進翼を見ながら館内へ。
果てしなく並ぶ乗組員の名簿に目が点になる。数えると兵庫県、長野県、そしてわが愛知県出身者はそれぞれ300人を越える。
達筆な館長の遺書にじんとくる。


 メインは「大和」の1/10スケールの模型。
だがなぜか世界一の戦艦大和のスケール、存在感が実感できないのはなぜだろう。模型は模型、若人の命を乗せて沖縄へ旅立った「大和」では、しょせんないからだろう。

原爆ドーム

 今日の、そして今年の最後の訪問地は「広島平和記念公園」・・・ なんと落差の大きい旅なんだろう。


 原爆ドームを始めて見るというのも、われながら遅いんだょという気がするが、目の当たりにする60年前の悲劇の中心地。
一瞬に消えた命は、数字では表現できない。
人類史上最悪、最大の愚行。
一握りの人間の愚行の積み重ねと、そしておそらくは一人の人間の決断の、一瞬の結果。



 その時私は、伊勢の海辺の村の国民学校一年生だった。
毎朝予科練が特攻基地の穴掘りに短艇で漕ぎ出すのを見ながら学校へ通った。

その日、日本のどこで起きても不思議でなかった出来事。
複数の候補地があって、その朝広島が選ばれた。
やりきれない決断。
人間の愚かしさ。
どうして、こんなことはやめよう、と決断できなかったのだろう。

 

厳島神社

 初日の出は広島プリンスホテルの食堂で。
おせち料理をいただきながら迎える。
折角の快晴、もっといいロケーションで迎えたかった。


 宮島口の船着場はフェリーのピストン運転。
静かな瀬戸の海を渡って初詣。
朱塗りの社殿、記念写真、鹿、そして人、人、人。ユーモラスに案内してくれた彼女はおみやげやさんの店員だった。

錦帯橋


 へ。昼食は岩国弁当とか。
橋を渡る。快晴無風、いい正月だ。
メタセコイアの大木がそびえる公園の奥に白蛇の展示場がある。
施設で1000匹ぐらい飼育されているうちの代表がこうして展示されているらしい。
真っ白で大きい。


  

津和野

 贅沢旅行の極めつけ、雪の消え残る峠を越えて津和野へ向かう。
とにかくバスへ乗っている時間が多い。
そのたびに熟睡。


 津和野へ着くと、また違うねぇちゃんが案内してくれる。

なまこ塀の町並みに、用水路を仕切って鯉がいる。
半端な数じゃない。
半端な大きさじゃない。
路を一本歩いてバスの駐車場に戻ると、大きな土産物屋。
中へ入るとさっきのねぇちゃんが、着物に着替えて、いらっしゃいませ、とやっている。

いつからこんなシステムができたのだろう。
結局行きかえり5時間バスに乗って、鯉とこの土産物屋を見ただけだ。
津和野がなくぜ。


 雪の中国道で熟睡。
広島駅でもんじゃやき。


 『年末年始限定 
山陽路贅沢三昧フルコース 
仲間が広がる 
旅が深まる クラブツーリズム』 の旅の終わりである。


 贅沢三昧には程遠い内容だったが、気の置けない仲間と初めての土地を訪ねる楽しさは、二日間の好天気にも恵まれて、まずはサイコー!!であった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・