氷壁
TVドラマ『氷壁』がはじまった。
50年前、毎朝新聞小説を切り抜いて、大学ノートに貼った。
見開き2ページに3日分。
連載が終わって、ちょうど一冊に収まった。
ぷっくらと膨らんだノートをときどきとり出して、生沢 朗の挿絵に見入ったものである。
その春、山岳部へ入部した。
定光寺の岩登りゲレンデで一服しているとき、山岳部始まって以来の数という新人を前に、先輩が言った、氷壁ブームだなぁ。
聞いた新人のこちらとしては、ちょっと心外だったが、ちょっとあたってもいた。世の中登山ブームだった。
小説のモデルと目された人が、わりと身近の人だったのにも驚いた。
その後数年、山岳部の目標はもっぱら剣岳であった。
夏の真砂沢合宿、春の早月尾根。冬には屏風岩に向かった仲間もいたが、前穂東壁にはついに無縁だった。
『氷壁』ノートには、ただ一日分だけが欠けていた。
その日、なぜか切り抜きそこなって、いずれ朝日新聞社に行ってもらえばいいなどと思っているうちに、そのまま空白になっていた。
貼りそこなった一枚分の文章が、この小説のクライマックスだったような気がする。
東壁の狭い岩棚にビバークする二人、狭いツェルトの中で魚津が取り出したライターは美那子のプレゼント、その黄色のライターが、ザイルよりも、ピッケルよりも、ハーケンよりも、どの道具よりも印象的であった。
K2を目指す北沢は、黄色いライターを持って行くだろうか。
- 作者: 井上靖
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1963/11/07
- メディア: 文庫
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