いつかあの頂へ

bufoの日記

マークⅡ

 きのう、亡父の法事のあと我が家へ泊まった妹たちを案内して、東山公園へ。東山タワーへ登る。みんな始めてである。


 ぐるり360度の展望、北には御岳が見える、乗鞍がちょっぴり覗いている。
西には伊吹山から鈴鹿の山々が霞んでいる。そのてまえに、高層ビルが2,3本。
「元気な名古屋」の象徴だが、それにしてもこの広い尾張平野に、ぽつんと立ってる姿は、かえって淋しささえ感じさせる。
まだまだ名古屋はこれからだわナモ。


 帰り道、星が丘の地下鉄へ妹たちを降ろして走り出して、ふとメーターが200000キロを越えたのに気がついた。
おもわずオーっ!と声をあげてしまった。
なにも大声をあげるほどのことでもないが、このところ平穏無事にうち過ぎている我が家ではちょっとしたニュースではある。


 勿論、ひとつ車に20万キロも乗るなんてなぁ始めてである。


 マツダの三輪車が我が家へやってきたのは50年前。
当時としては最新型の右ハンドル。その車を使って、近所の空き地で運転の練習をした。
先生はマツダのセールスKさんだ。
毎朝出勤前に来ては教えてくれたおかげで運転免許試験は一発で通った。


 2台目のトヨエースでは山岳部のテントを撤収に上高地へ行ったこともある。
大正池に樹が茂っていたころの話である。
60000キロぐらいでエンジンがへたって、満タンに積むと東別院の坂を上がるのにアクセルをいっぱい踏んだのを覚えている。


 3台目のハイエースでは開通したばかりの東名高速で横浜へ納品に走った。
交差点で対向車がいっせいにライトを落とすのに驚いた。
東京の運転免許試験場では、交差点で減光するべしと教えたのだそうだ。
なるほどと、名古屋へ帰ってからもっぱら減光に努めたが、数年後NHKのTVが「交差点での減光は交通法規違反である」と妙なスポットを入れたので、折角の試験官の教えもしだいに誰も守らなくなった。
おおかたNHKのだれかさんがポリさんと喧嘩して頭にきたのだろうと思った。


 商売変えをしてトラックが要らなくなって、コロナになり、そしてこのマークⅡになり・・・。


 もとはコロナ・マークⅡと言ったのが、いまやマークXと意味不明のネーミングで一段と高級になったらしいが、我が家はまだまだマークⅡでいくつもりである。
なに、ただのやせ我慢だといわれればそれまでだが、このマークⅡ、結構健在なのだ。


先日も、ハンズの駐車場のおじさんに「だいじに乗ってますねぇ、いい音してるよ」とお褒めの言葉をいただいた。
その通り、このエンジン、リッター10キロは伸びる。


 我が家には一級整備士(従兄弟)がついてくれている。
少々の故障は苦もなく直してくれる。
この安心感はじつに大きい。
彼がいつの日か「いい加減に廃車にしよまい」と言うまでは大丈夫なのだ。

ちなみに、彼の乗るクラウンはリッター7キロ、ハイオクだから燃費はわがマークⅡの倍である。
このご時勢にエコはうれしい。なにより地球に優しい。


 マークⅡ、200000キロ突破、おめでとう!!
 まだまだ、がんばろう、おたがいに・・・。