いつかあの頂へ

bufoの日記

** レクイエム 二短調

 中日さかえ男声合唱に入会して9ヶ月、今日はその発表演奏会。


本番を二時間後に控えたゲネプロ、1メートル前に立つソリストの歌声に目をつぶって聞き入っていると、感動が湧き上がってきて目頭が熱くなる。
 そうだ、これはモーツアルトだ。モーツアルトの舞台に、おれはいるんだ。

 
 去年の7月、なにを思ったかいきなり男声合唱団に参加申し込みの電話を掛けた。
中日文化センターの募集カタログの、年齢経験不問の一言につい気を許したせいもある。
それよりも男声合唱に参加する機会があるかも、という期待に後押しされたせいだ。
昔の経験がこの歳になって役立つとは思わなかったが、昔の思い出が、背中を押してくれたのは間違いない。



 むかしむかし・・・
 向陽高校2年、音楽の先生が「よし、僕が歌おう」と弾き語りで歌ってくれた。
 ♪カーローミオベーン・・・
 彼が歌いだしたとたん、教室中に気があふれた。窓ガラスが震えるのが分かった。
われわれの全身がしびれた。生まれて初めての経験だった。本物の歌を聴くのも、音楽で魂がぶっ飛ぶのも。


 数ヵ月後、その先生が急逝した。
送別式で女生徒が歌う声がいまも耳に残っている。
   「♪ ああ いちはし そうご の きみ ・・・



 音楽に目覚めたわけでもないが、しばらくむさぼるように音楽を聴いた。とはいえ、そのころ出はじめたLP盤を買って聴くほどのこずかいはもちろんない。
もっぱらレコードコンサートに通った。
鶴舞図書館、中区役所等々、藤井制心さんというおじさんの解説に聞き入った。



 大学へ入ると、男声合唱団の誘いに即乗った。
女の子のいる混声より、男だけの声に魅かれた。


 先輩に藤井さんの息子がいた。
彼らが合唱団を作ったのだという。
彼は3年ですべての単位を取り、4年目はもっぱら合唱をやっていた、という伝説めいた話を聞いた。
国立民族博物館名誉教授などの要職にあって、今もご活躍とのこと。


 20人ほどの同期の中に、高校時代レコードコンサートでよく顔を合わせた渡会君がいた。
のちに発声学の権威になる加藤友康君がテノールでいい声を出していた。
 その年の合唱コンクールで中部代表になった。



 道頓堀川沿いの旅館に宿を取って翌日の中ノ島公会堂での全国大会に備えた。
その夜、宿のTVで初来日のカラヤンがタクトを振っていた。


緊張を和らげようという先輩の計らいだろう、夜の道頓堀へ散歩に出た。
 橋の袂へみんなを集めて、
可知先輩が音叉を取り出した。


  ♪もーおし もーぉし やながわじゃー やながわじゃー


 勤め帰りの大阪の人たちが、何事?、と足を止める。
男声合唱の定番を次々に歌う。



  ♪ウボイ ボイマスタ カブラッチョ〜


 課題曲の「月光とピエロ」
  ♪ 身〜すぎ 世〜過ぎの ぜ〜ひもなく〜
      なーきわらいしーて わーがピーエロ〜


を歌うころには人だかりが出来ている。



  ♪ しずかなー よふーけーにー いーつーもいつもー
      おもーいー だすのはー おまえーのことー


 
 仕入れたばかりの「遥かな友に」で歌い納めると、周りの人からやさしい拍手が沸いた。

われわれの歌が、みんなの胸に届いたのだ。
合唱をする喜びを味わった一夜であった。




 50年が経つ。


 この50年、ドライブのお供のCDはいつも「グリークラブ・アルバム」だったが、ほぼ音楽とは無縁の歳月を送ってきた。



 そして今日、白川ホール・・・



 舞台に立つと客席は満員。緊張のあまり足が震える。


永友先生のタクトが静寂を破る。


 思いがけずモーツァルトの名曲にじかに親しむ機会を得た幸せに、楽譜を持つ手が震える。


 至福の時が始まる。





                    中日新聞 9日朝刊







 明日はハーモニカクラブの演奏会。
私の独奏曲は「とんがり帽子」である。

 モーツアルトと鐘の鳴る丘と・・・・
音楽はおくが深い。