いつかあの頂へ

bufoの日記

ハーモニカ演奏会

鐘の鳴る丘

 9時、天白文化小劇場へ。

ハーモニカ教室の生徒たちの手作り演奏会、世話役たちの打ち合わせが始まっていた。音響係を仰せつかった。出演者の出入りにあわせてボリュウムをON,OFFする役目らしい。

 10時、リハーサル。

 12時、いよいよ演奏会が始まる。300席ほどの客席はほぼ満席、と思いきや、ほとんど空席に近い。家族と思しき人が数人、あとは出演者。


 「天白ハーモニカファミリー千鳥」 「ハモニカ日進 あじさい」 「相生ハーモニカ同好会」 「汐路ハーモニカファミリー」 「ハモニカみどり」 5つの会がそれぞれ合奏に続いて独奏、55人。日ごろの練習の成果を披露する。





 私が選んだ独奏曲は「とんがり帽子」、連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌である。


昭和22年から始まったこのドラマ、学校から帰るとラジオにかじりつくようにして聞いたものだ。
浮浪児のがんちゃん、ミドリは同世代の仲間であった。



 それより数年前、名古屋大空襲に家を失ったわれわれ、母と3人の子供は母の故郷を頼った。五ヶ所湾の海辺の村で終戦を迎えた。満州から帰った父は、先に名古屋へ出て家族を迎えるべく命を削って働いた。


 ある日、名古屋の父から小包が届いた。中にハーモニカと、楽譜が一枚入っていた。「りんごの歌」である。ラジオさえろくすっぽなかった寒村ではそれほどでもなかったが、都会の廃墟でもがく人たちの心を捉えて、爆発的に流行していた、戦後流行歌第一号である。



 ♪赤いりんごに くちびるよせて
    黙ってみている あおいそら〜



 この曲を歌う歌手が、両親、兄を戦火に失った乙女だとはもちろん知らなかったし、りんごなんて食べたこともなかったけれど、この曲を吹くと名古屋の風を感じられるような気がした。



 以後、私は夢中になって一日中ハーモニカを吹いた。やがて歌を覚えれば即ハーモニカで吹けるようになった。学校の唱歌から、岡春夫、田端義男のマドロス演歌まで、口笛を吹くように海を見ながら吹いていた。



 数年前、野田知佑のCD本をみつけて買った。キャンプファイヤーを前に吹く彼のハーモニカに、むかしの少年のころの雰囲気を感じてうれしかった。彼もおそらく楽譜を見て吹いたことなどなかったに違いないと思った。そんな吹き方だった。



 去年の秋、たまたま覗いたコミセンの文化祭で、ハーモニカバンドの演奏を聴いて、その場で入門した。10人ほどの先輩に混じって吹き始めて戸惑ったのは、楽譜を見て演奏することだった。それも数字だけずらりと並んだ独特の楽譜なのだ。



 むかし宮田東峰教則本に挑戦したこともあったが、あまりのめんどくささに長続きしなかったと言う経験はある。だが今回は、独奏はともかく合奏となればいやでも楽譜に忠実に演奏しなければならない。月2回、コミセンで行う仲間との練習も、また楽しい時間だった。



 コーラスといい、ハーモニカといい、むかし取った杵柄はここに来て一向に通用しないけれど、それがまた、新たな挑戦意欲を呼び覚まして、ひいては、目前に迫ったボケ防止に、なんだかとてもいいような、そんな気がする。



 夢中で吹きながら、モーツアルトとはまた違った感激に胸が躍った。




      とんがり帽子

   ♪♪  キン コン カン コン
        キン コン カン コン


 一 みどりの丘の 赤い屋根
      とんがり帽子の 時計台
   鐘が鳴ります キンコンカン
      めぇめぇ子ヤギも啼いてます
   風がそよそよ 丘の家
      黄色いお窓は おいらの家よ



 二 みどりの丘の 麦畑
      俺らが一人でいるときに
   鐘が鳴ります キンコンカン
      鳴る鳴る鐘は 父母の
   元気でいろよという声よ
      口笛吹いて おいらは元気



 三 とんがり帽子の時計台
       夜になったら星が出る
   鐘が鳴ります キンコンカン
       俺らは帰る 屋根の下
   父さん母さん いないけど
       丘のあの窓 俺らの家よ



 四 おやすみなさい 空の星
        おやすみなさい 仲間たち
   鐘が鳴ります キンコンカン
       昨日に勝る 今日よりも 
   明日はもっと 幸せに
       みんななかよく おやすみなさい



        作詞 菊田一夫・作曲 古関祐而
           唄 川田正子