いつかあの頂へ

bufoの日記

野火止 平林寺


 義弟大森さんはここ数年入退院を繰り返す生活であった。
糖尿病と、合併症と、薬害と・・・


 たまに上京して会えば、人をそらさぬ会話と笑顔に、
つい「大森さん、お元気そうじゃない」と言ってしまうが、
残された病床日記を見れば、生やさしい闘病の日々でないことはすぐわかる。
 きのう、納棺前の顔は、安らかに、美しくさえあったけれど。


 息子の英くんにお悔やみを言うと
「いやぁ、おじさん、おふくろが楽になりますよ」とほほえんだ。
植木職として一家を成した彼も、手ぬぐい鉢巻姿で行き来した、
病院の送り迎えの日々の苦労は察するに余りある。




 けさ、近くの名刹平林寺にお参りしようと出かけたが、まだ門が開いていない。
門限のあるお寺は初めてだ。
新座市役所の喫茶で朝食代わりのコーヒー。


 ここのママさんの応接のすばらしさにも感服したが、
構内をうろうろするこちとらに行き交う職員の皆さんが
「おはようございます」とにこやかに会釈してゆく。
あたりまえっちゃぁ当たり前だが、なんともさわやかである。





 平林寺境内を訪れるのは四十年振り、大森さんたちがこの地に新居を構えた時以来である。
 落ち葉を掃くおばさんは「今年のもみじは少し遅いようで」というが、いや、見事である。





 総門を辞して、お向かいの『睡足軒』にお邪魔する。
松永安左ヱ門の別邸である。







 

   武蔵野の庵に一人座禅する
     おきなの肩に こもれ陽のさす  
                      橅峰


 11時、
新座セレモニーホールに向かう。


 喪主を務めるひささんの横顔を見ながら、
旅立つ人の、64年の生涯を思う。