いつかあの頂へ

bufoの日記

 知多新四国八十八ヶ所巡礼 5日目


 9時出発 知多半島自動車道に乗る。
半田インターから国道266へ
今朝も知多路は快晴。
 暖かい。


 第六十六番 中之坊寺


     たらよう(多羅葉)の木
       葉の裏に尖ったもので字を書くと くっきり残ります
       葉書の語源になったのだそうです
       納経所のおくさんが丁寧に説明してくださいました。


 第六十七番 三光院


 第六十八番 宝蔵寺


 第六十九番 慈光寺


 第七十番  地蔵寺



 第七十一番 大智院






 新舞子

 お昼、おいしいものを探して海へ出る。
埋立地だろうか、対岸を隔てる入り江にウィンドサーファーが10人ほど。

  




 そう、ここは新舞子の海岸・・・
子供のころ海水浴といえば、一泊で野間、日帰りで大野、新舞子と相場が決まっていた。
いま、見渡せどそのころの面影はさらに無い。


 それらしい建物を見つけて車を停める。
知多市南浜荘』という。
2階レストランでとんかつ、焼きそばを食す。




 窓外に広がるはずの海は、残念ながらガス会社になっちゃってるが、
それでも暖かな秋の日に、遠く連なる鈴鹿の山並みがすばらしい。


  レジの女の子に
「すっかり変わりましたねぇ、60年ぶりです」
といったらきょとんとしていた。




 うっかり知多産業道路に乗ってしまったら、降りる道が少ない、
朝倉ICに出て、お参りが逆順になってしまった。


 第八十番 栖光院

    仁王門を入るとびっくり 800年の大クスノキ


 第八十一番 龍蔵寺


 第七十八番 福生


    門前を飾るやさしい花
     やまほろし またの名を ツルハナナス


 第七十九番 妙楽寺


     おや Bufo君だ  なにしてるの



 
 第七十三番 正法寺


 第七十四番 蜜巌寺


 第七十五番 誕生寺


     いいなぁ このお顔


 第七十六番 如意寺




 第七十二番 慈雲寺




     師走 職人さんのはさみも忙しい

     鈴鹿の山に 日が沈む


        ・・・・・・・・・・・・





 じつは この朝 
従姉のたきちゃんから電話をもらった。
「急な話やけどね、
あさがた、きくちゃんがなくなったの・・・」


 3月のおばの法事に顔が見えなかったので気にはなっていたが、
いかにも急な話に絶句した。


 すぅちゃん、きくちゃん、たきちゃんの三姉妹は、
われわれ5人兄妹にとって姉のような存在であった。


 また話がぐんとさかのぼるが、
昭和20年3月12日・・・
名古屋大空襲、降りかかる焼夷弾をかいくぐって、
公会堂の地下室で一夜を明かし、翌日丸田町のおばの家に厄介になった。


 そのおりの唯一記憶に残っているのは、
2階、というか屋根裏部屋?に、お蚕さんを飼っていたことである。
無論三姉妹の仕事であろう、
bufoの人生で蚕だなを見たのはこのとき最初で最後の経験で、
その光景だけが今も鮮やかに記憶にある。


 戦後、一時期一家が我が家の別棟に住んだことがある。
しばらくしてから、母や周りの大人たちの会話で、
一家が夜マージャンをやっている、というのである。
一家5人でジャン卓を囲む風景は、bufoの想像の域を超えていた。
 そんな皆さんは、いつも笑顔でbufoに接してくれた。



 おととしの法事の席で、
「あんたのブログよんどるよ、うん おもしろい」
と言ってくれたのはきくちゃんである。
 近所のパソコンクラブに入って、勉強を始めたの、と
楽しそうな笑顔であった。


 三姉妹の中でも最も明るく活発な印象のあるきくちゃん
温厚なだんなさんと、聞けば優秀な子供たちとに囲まれて、
幸せな人生を楽しんでいると思っていた、
きくちゃんの、あまりにも突然の訃報である。



 
   掲諦掲諦波羅掲諦
   波羅僧掲諦
   菩提薩婆呵般若心経

     彼岸へ行く者よ
     悟りの境地へ行く者よ
      この呪文を唱え幸いあれ

   河本滉子著 『花でつづる 般若心経』 より





 享年74歳
 葬儀は7日 半田斎場にて

 
 知多の仏たちに守られて   
 きくちゃんは旅立つ