カウラの風
NHKFM深夜便のインタビュー番組で、
「コール ファーマー」なる男声合唱団の代表升本 弘氏のお話があるというので、(不明にしてどちらも存知あげなかったけれど) これはきっと、男声合唱に関するよもやまの話が聴けるのだろうと、エアチェックのスィッチを入れた。
翌朝聴いて、話が始まっていきなり『カウラ』なる地名が出てきたので驚くとともに、その内容に思わず聞き入ってしまった。
東京農大の男声合唱団『コールファーマー』が、升本氏の言葉を借りれば、オーストラリア内陸の「限りなく田舎」カウラに、なぜここ30年かかさず演奏旅行に出かけるのか、その因縁と、彼らの情熱にこころうたれたのだ。
bufoが「カウラ」の名を初めて知ったのは数年前、
大曽根の眼科三宅病院に検査入院した際、ロビーにあった一冊の本、先代院長三宅寅三氏のの伝記を読んで感銘を受けたことを、
山仲間の井口氏に話すと井口夫人が折り返し送ってくださった
『カウラの風』という本であった。
http://d.hatena.ne.jp/bufo/20070705
三宅院長はレイテ島から九死に一生を得て帰還した。
終戦前後収容されていたのが、オーストラリアの『カウラ日本人捕虜収容所』であった。
生きて虜囚の辱めを受けず
1944年8月5日、日本兵捕虜1000余名が脱走を企て200余名が亡くなった。
「カウラ事件」の生き残りの人々に取材したレポートが土屋康夫著「カウラの風」だ。
三宅家と親類の井口氏が所蔵の一書をご恵贈くださったのでる。
こんな合唱団があったんだと、驚きながら聴き終わり、
『コールファーマー』のことをもっと知りたくなって、
NET検索していると、彼らの彼の地での録音CDがネットショップに見つかった。
1998年とあるからいささか古いが、早速落札した。
男声合唱の響きをたっぷり聴かせてくれる熱演だ。
日本人捕虜の墓地で「ふるさと」をうたい、
捕虜脱走事件の鎮圧にあたった現地の犠牲者四人の墓前に、
「アメイジンググレイス」を献歌する、
傍らで団員の現地ホームステイ先の夫人が涙する。
この夫人は、墓に眠る犠牲者の親類なのだという。
戦争を知らない若者たちが、年に一度、カウラの空に響けと歌う声は、こころにしみる。
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