いつかあの頂へ

bufoの日記

ひでくん

 つらい10日間だった。
悲しくないわかれなんてないけれど、
こんな出来事はもう2度と起きないでくれ。


 21日(水)
 老老介護の予行練習、3週間余我が家に滞在した姉を送って同行するかみさんを
新幹線に乗せるため家を出たのが9時過ぎ。
途中荷物を送るのに、川名のクロネコに寄る。
バックで車庫入れの際、鉄柱にぶつけてフロントをつぶしてしまう。
初事故。


 10時半頃、新幹線改札で二人を見送って、例によってハンズ訪問。
二人三人、顔見知りを見つけて挨拶し、一回りして帰ろうとするところで電話。


「ね、大変なの」
「なに、どうしたんだ」
「あのね、いま清瀬から電話でね、ひでくんが死んだっていうの」
「え、なに」
「詳しいことは言わなかったけど、事故らしいの」
「なんだって」
「いまね、ねぇさんに聞かれないようにトイレでかけてるの」
「えぇっ?!」

 信じられない、厳しい出来事のこれが一報だった。


23日(金)


 へしゃけたバンパーの修理を勝利さんに任せて新幹線に乗る。
13階の本屋で買いこんだ『天地明察』を開くが、ついひでくんの顔が目に浮かんでページを繰る手が進まない。


 なぜだ、
ひでくん、なぜこんなことになったんだ。


 東京駅から池袋へ。
東京にはこんなにたくさんの人がいるのに、この人たちの中にひでくんがもう居ないことが信じられない。


 清瀬駅へ裕ちゃんが迎えに来てくれていた。
後ろのチャイルドシートに直くんが寝ている。
直くんとは先日動物園で遊んだばかりだ。
新米幼稚園児、結構疲れて帰ってくるという。


 平林寺に向かって走りながら、話してくれる。
事故は朝現場へ向かう途中、関越自動車道をくぐるトンネルの入り口で起きた、
地元の人しか使わない新しい抜け道。
反対車線に飛び出して、壁にぶつかって止まった。


 「お兄ちゃんまだ病院から帰ってないんです」
 「え、どういうこと」
 「検死解剖、っていうんですか、お兄ちゃんが自殺するはずないんですけどねぇ、発見がだいぶ遅れたみたいだし」


 久さん(ひでくんの母)、姉(伯母)と合流してひでくん宅へ。
めぐさんや先ごろ独りになってここに同居しているめぐさんのお父さんにあいさつするのがつらい。
子供部屋の女の子は小学6年、男の子は4年生。
 夕方、ひでくんの友人10数人も待つうち、やっと遺体が帰宅した。

 子供たちが息をつめて見守る中で、ひでくんはやっと自分の布団に横になった。

 安らかに見える、もう口を開かぬ寝顔。

 見ると、首の右側半分、斜めに縫合した傷跡がある。
何だろうこの傷は。


 25日(日)
 通夜。
 新東セレモニーホール。
ここは、11月にひでくんの父親を送った斎場だ。


 ひでくんのやさしい人柄と仲間内の人気だろう、若い人たちの列がつづく。
植木職の彼の仲間、お得意さん
そして子供の同級生が父兄同伴で200組・・・・。
いっとき、ホールもロビーも身動きできない人々の祈りの中で読経が進んだ。



 夜、ホールの別室で横になる3人が、階下の物音に驚いて降りてみると、
男が泣きながらドアを叩いていた。
さっき通夜式でお参りはしたが、明日どうしても来れない、
どうかもう一度お別れがしたい、ひでさんの顔を見せてくれ、と。

 あの子ね、最近ひでの仕事を手伝ってくれるようになったの、
お酒が好きなの、いつもひでと行く飲み屋で飲んで、酔っ払って、
そいで、どうにもならなくなっちゃたんじゃないの、
と、ひささんが泣きながら笑った。


 26日(月)

 告別式。


 ひでくんの好きだったサザンの曲が流れる中、
若い友人たちがまたおおぜい集まって、お別れの式が始まる。


 祭壇の写真のひでくんが、ほほ笑みながら左手でピースサインをしている。
 ひささんとめぐちゃんが苦笑いしながら選んだ写真である。


 この写真ねぇ、実はこの間のじーじの葬式の時に撮ったのよ。
ほら、ネクタイが黒でしょ。
 親の葬式にVサインもないもんだと思うけど、
でも、ひでらしくていいんじゃない、この写真・・・



 祈りの中で、式がすんで、遺族親類が2台のバスに乗る。
どうしても最後まで送りたいという友人たちが数台の乗用車で従う。



 サイレンを鳴らして動き出した車に向かって、
葉山から来てくださった井伊さんが泣きながらVサインをしている。
彼女はひささんの先輩であるが、
つい最近ひでくんが葉山の屋敷の庭の手入れをしたばかりだという。


 戸田ボートレース場の近くの火葬場までは小一時間かかる。


ひでくんを乗せた車列は、ついこの間、彼の父親を送ったばかりの道を進む。


 30日(金)
 名古屋へ帰る日。


 なにごとも、手につかないというひささんのお手伝いで、
旦那の遺品の整理やら、家具の片付けなどを手伝って数日を過ごした。


 ひでがねぇ、かぁちゃん俺がそのうちやってやるよ、
なんて偉そうなこと言ってたのよ、


 いいの、みんな捨てちゃってください、とひささんは言うが
まかされたこちらは迷い迷いの仕事ではあった。



 駅まで送ってもらう道々、事故現場を見ようということになって、
庭のボタンを一輪切る。
もうこの庭の手入れをする人がいない。



 20分ほどで関越のインター近く。
黄色いセンターラインのある新しい道が、高速の下のトンネルに入る。
インターへの近道だが、地元の人のほかあまり知らない。


 手前30メートルくらいはけっこうな下り坂である。
それが左カーブで下りのままトンネルに差し掛かる、トンネルの中はぐっと左になって隠れて見えない。


 裕ちゃんが説明してくれる、
「車の時計が止まって、救急車がくるまで20分ぐらいあったみたい、
カーブを曲がらないで突っ切って、ほら、まっすぐ行って反対の壁をこすって、
トンネル入り口のU字型の壁、直角の壁に車の右半分クシャッとなってた…


 ここで私腰が砕けちゃって」


 病院へ駆けつけた時もうひでくんはもうこの世の人ではなかった。


「検死解剖をするって、
脱がした作業服がすっごく重いの、血が染みてたのね、
  

 
「首の右側がすっぱり切れてた、
救急隊員はベルトが喰い込んでいたという、
私は、兄ちゃんを引っ張りだすときに、ベルト切る刃物で切っちゃったんじゃないかと思ったわ、
隊員はハサミでベルトを切りました、って言ってた。

 
 二日間、ひでくんは病院に留めおかれた。
いま、その意味がわかったような気がした。


 事故が明らかにひでくんの過誤であるとして、
直接の死因が何なのか、
おそらくはその解明のためにひでくんは病院のベッドにいたのだろう。


 検案書も見ていないから、どういう結論が出たのか知らないが、
首半分シートベルトが切って、出血多量のせいで死に至ったとしたら、


 もし事故直後に手当てしていれば一命を取り留めることができたとすれば・・・・


 シ−トベルトをしていなければ助かったのでは・・・・・・・



 無論素人があれこれ思ってもいまさら仕方がないが、
それはそれで、もしそんな可能性があれば、
病院、警察、自動車会社がきちんと対応してくれるだろう。


 
 新幹線の中でひでくんの無念を思った。


 そして『ナイロンザイル事件』を思い出した。
万一の事態にいのちを守るべきものが・・・・



 帰宅して勝利さんに相談すると、
「いや、ちゃんとベルトに巻くものが売ってるよ、
子供なんかが、首に怪我をしないようにね、
というではないか。


「え、そんなもの売ってるの
「そこのオートバックスにあるよ。


 2本入り800円。
運転席と、助手席のベルトにつける。




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