朋あり ブラジルより来る
人生、こんな愉快なことはめったにないだろう。
ことの始まりは1通のメール。
「ブラジルより」という件名のメールを受け取ったのは、2月20日である。
From: Akihiko Kuroyama
To bufo
Sent: Wednesday, February 20, 2008 11:33 PM
Subject: ブラジルより
『BUFOさん
お元気ですか?
名古屋の仲間に会いたくなりました。
牛島先生がまだ生きていらしたころ以来、だから20年近く行ってません。
滝子、東山、今池、鶴舞,栄等も懐かしいが、
当時の仲間、ブフォさん、磯テイさん、矢入、高井、牛田、達に会って一献傾けながら、積もる話もしたいのです。
3月19か20日ころ、
お手数ですが、皆さんに声をかけて会う機会を作っていただけませんか?』
このメールの発信地「ブラジル」はbufoにとってあまりにとおく、地図の上でやっとイメージできる土地だ。
最近「ブラジル サントス レイン フォレスト」という名前のコーヒー豆を挽いて味わったのが唯一具体的な繋がりだ。
地球の裏側の国から軽々と飛んできたこのメールも不思議だが、Kuroyamaという男の名前から浮かんでくるのは、これもはるかに遠く、遠い、なんと50年前のイメージだ。
bufoはこの50年彼に会っていない。
しかし、はるか50年という時間を越えて、突然よみがえるイメージは、鮮明で強烈だ。
昨日のことは忘れても、昔のことは覚えている、というアルツハイマー初期症状だけで言うのではない、彼はbufoが体験した山行のうちでも、一番楽しかった、一番思いで多い山行のパートナーだった。
50年前のあの夏の日。
真砂合宿の朝、岩登りに出かける前の体操、なんだかバラバラなのは足場が雪渓の為、山岳部員の運動神経が特に悪いわけではない。
一週間の剱岳真砂沢定着合宿、グリセード、ロッククライミングを堪能して、十数パーティーに分かれて、アルプス縦断の縦走に出発。
清冽な黒部の流れ。来年は湖水の下。
ちょっと覗いた黒部源流は両岸が切り立った廊下だが、
支流の東沢は日本庭園のような伸びやかな沢だった。
東沢の夜は岩魚の串焼き。
北アルプスのへそ東沢乗越、一仕事終えた仲間たち。
ギネの右肩の上へ流れるのが、のぼり来た東沢、黒部に合流する。
乗越からは尾根を走って双六から抜戸、笠が岳の散歩道。
前後して縦走するメッチェンパーティーは30人ほどの大所帯。
懐かしい共立女子大のお姉さんたち、きっと今も元気に美しくいらっしゃるであろう!
山の暮らしも一月近く、顔にも衣装にもちょっとくたびれが見えるのは写真の出来のせいばかりではない、焼岳の峠を一気に下れば、上高地のテント場に仲間たちが待っている。
なんとなつかしい!
これらの写真は、矢入君がCDに落として持ってきてくれたものである。彼は今、昔の写真などをデジタルデータに変換する作業を進めているという。
我が家のデータは一部を残してあらかた消えてしまった。
こうして貴重な記録を再び手にできることは本当にうれしい。
逆に、当時WEBにUPする為お預かりしていた先輩の写真を炎と煙の中に汚してしまった。
あの日、煙がくすぶる我が家に駆けつけて、中に飛び込もうとすると消防署員がヘルメットをかぶせてくれた。
書斎には炎は来ていなかった、煙と水でくしゃくしゃになったパソコンデスクの上にあったアルバムを手に飛び出した。
そのアルバムは四国在住の鈴木先輩から預かっていたものだ。
何千人だったろう、押しかけていた野次馬が去ったあと、見舞いに駆けつけてくれた同期の伊林君の顔を見ると、躊躇無くそのアルバムを彼の手に押し付けた。
「すまん、善太先輩に送ってくれ」
パニック状態の脳裏に、自分でやるより彼に託した方が確実と思えたのだ。
後日、伊林君のいわく
「いやぁ、ぬれた写真を剥がすのは大変だったよ」
話を現代に戻そう。
名大キャンパスにて。後方に豊田講堂、60年安保真っ只中に生まれたこの建物、学生集会には使えなかった。
滝子にて。後は八高古墳。ここにかって山岳部々室があった。
名駅前「佐久良」にて。かって紅顔の美少年、いま・・・・
お礼のメール
黒山さん
小赤石以来50年ぶりにお会いして、うれしかった。
50年の時を隔てて人と会えるなんて想像したこともありませんでしたが、あなたが運んできた遠い国の風のおかげで、新鮮な一日の体験でした、矢入君の言葉を借りれば、「一瞬で19歳に戻った」ひと時でした。まだ旅は続きますが、疲れが出ませんように、また今度いらした節はぜひ声を掛けてください。もっと美味しいきしめん屋を見つけておきます。
磯村さん
最初に手を上げてくれたのはあなたです、遠くからおいでいただきありがとう。おかげで座がしまりました。6月に五龍遠見で会いましょう。おくさまによろしく。
高井さん
市内遊覧に付き合ってくれてありがとう。おかげで関係のない私までキャンパスの広さを実感しました。滝子の八高古墳も始めてみるようにめずらしい見ものでした。また貴重な宝物(学生歌集)をいただいてしまって、恐縮しています。燃さないように大切にします。写真同封します。
矢入さん
黒山さんも高井さんもあなたがくるのを一番喜んでいました。腰痛をおして遠く飛騨から出てきてくださってありがとう。お持ちいただいた黒部東沢のCDをスライドショウで見ています。剣の岩と雪に圧倒されます。次回の集まりはせせらぎロッジでやりたいですね。
長谷川さん
なぜかあなたには出席いただけるものと決めこんで直メールを打ったりしてしまいました。喜んでおいでいただいたご好意に御礼申し上げます。あなたのメールにあった「好久不見了」やっとかめという言葉をかみしめた一夜でした。またちかじか「やっとかめだなも」とやりたいものです、よろしく。
高場さん
午後東京から駆けつけ翌朝東京へ帰るというアクロバットプレイで参加してくださったあなたのご好意に心から感謝の意をささげます。おかげで蓬莱泉が美味しく飲めました。またいつかお会いするのを楽しみにしています。東京の皆さんによろしく。
堀田さん
本山キャンパスを歩きながら黒山さんが言いました『堀田のあの訛りを聞きながら飲みたいんや』
高井さんが言いました『そう、あのしゃべりはええなぁ』
忙しい中をありがとうございました。またいつかイタリアのことを聞かせてください。
小嶋さん
最初のメールで黒山VS小嶋の接点がないのを気にしていらっしゃいましたが、当の黒山さんはきしめんを食べながら「小嶋君は山岳部の整理をほんとうによくやってくれたよねぇ」と古い友達のように遭うのを楽しみにしていました。
『佐久良』の小部屋へ入って 初めての握手を交わすあなた方二人を見て思わず涙が出そうに感動しました。時を隔てて同じ鍋でエッセンをしたという小さな接点しかなくても、ともに酒を酌み交わし、山の思い出話に笑いあううちに、NUACの歴史を共有する仲間になっていることに何の違和感もない。
あなたたちを見ながら、この一夜の宴のおぜんだてにおよばずながらお役に立てたかなと、酔っ払った頭でひとり得心した次第です。おいでいただいてほんとうにありがとう。
浅野君からいろいろ助けてもらいましたが、彼のメールの一節に
『現役の組織がなくなってしまうと寂しいものですね。自分自身もロートルの世代に入って行っていますが、最近思うのは「会える うちに会える人には会っておこ
う」という気持ちです。』とありました。
まったく同感です。
新幹線の改札を出てきて、黒山君の第一声が「bufoさん変わってないねぇ」だった。
とんでもない、夏にはbufoもなんと古希であります。
会える内に会えるひとに会いたい、この思いを果たせた貴重な一夜でした。
黒山さん、ありがとう。
みなさん、お元気で。
Aufwiedersehn!